葬儀

生前葬もいいね!&爽やかな朝で6月がスタートしました。

<今日の表紙>昨夜のNHKニュースでのコマツ元社長安崎暁さん(81)の訃報
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昨年12月に生前葬で感謝を伝える安崎元社長です。DSC01780

末期がんを患っていて、延命治療をしなかったとのことです。生きている時(話ができる時)に多くの人に感謝したいので生前葬を行ったとのことです。

末期がんで余命数ヶ月と宣告された時や、僕が昨日のブログで書いたように生誕30000日を達成したおめでたい日に生前葬(感謝の集い)を行うのも、僕の選択肢のヒントになりました。

  人生を楽しく生きて死ぬ前に感謝の集い出来たらいいね!

豪雨で幕を閉じた5月でしたが、6月はさわやかな朝で始まりました。DSC01785

しかし、日の出の位置には雲がたなびいていています。DSC01787
そんな中、太陽がほんのちょっと顔を出してくれました。(4時48分)DSC01788
ミニ煙食が始まりました。DSC01791
するとすぐに雲が覆いかぶさってきました。DSC01792
一瞬太陽が隠れたかと思ったら雲の上から本当の日の出が始まりました。DSC01796
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久しぶりのまぶしい日の出です。DSC01800
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天気予報によれば、日曜日まではいいお天気が続き、来週には梅雨入りしそうです。

日の出の位置と反対側を見ると、お月さまがとてもきれいでした。DSC01809

今朝のお月さまでお別れします。DSC01808


今日の曲は、KOKIA ありがとう





八幡浜の人たちに愛されて旅立ちました。故清水俊三(株)サンリード代表取締役会長社葬(しまなみ海道経由八幡浜)

<今日の表紙>故清水俊三会長の遺影写真と祭壇
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昨日は、朝早く勝川を出発してしまなみ海道経由で八幡浜へ向かいました。

新幹線の車窓からの木曽川です。DSC01649
そして、長良川です。DSC01651
曇り空の中、伊吹山もきれいです。DSC01655


福山駅からは、しまなみライナーに乗り今治へ向かいます。福山駅前のバス乗り場への通路はバラがきれいです。DSC01667
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しまなみ海道はいろいろな橋が架かっていて飽きさせません。DSC01675
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サイクリングで多くの人が楽しんでいます。DSC01682
オオキンケイギクが満開です。DSC01674
来島海峡大橋を渡ると今治市街に入ります。DSC01690
そして、今治からは友人と一緒に高速道路で八幡浜へ向かいました。石鎚山がきれいでいた。DSC01700

勝川駅を6時頃出発して、八幡浜には12時30分ごろに到着しました。

13時から、僕が社長時代から大変お世話になっていて、先日お亡くなりになった(株)サンリード代表取締役会長故清水俊三様の社葬が大勢の方々の出席で執り行われました。DSC01701


開式の前に、ビデオの放映があり、故人のお元気な姿が映し出されました。DSC01704
ご夫婦でのゴルフの時のショットです。DSC01705

友人代表の心温まる弔辞の中で、故人は還暦でゴルフのシングルプレーヤーになったことを紹介していました。大変な努力家で、意志の強さが際立っていました。

ご長男で清水英行(株)サンリード代表取締役社長の御礼の言葉です。DSC01709
故人からは、仕事ではイエス、ノーをはっきりして行うように指導されてきました。これからも、故人の教えを尊重しながら頑張って行きます。

  仕事ではイエスかノーをはっきりと決めて行う俊三イズム

享年79歳での旅立ちです。合掌

故清水俊三会長の遺影写真でお別れします。DSC01703


今日の曲は、清水会長の得意な歌 内山田洋とクールファイブ そして、神戸








at once【すぐに、直ちに】&「商いは一方的に運ぶ」 やっさんのモットーです。((株)マルハチ故八十嶋社長社葬)

<今日の表紙>故八十嶋社長の等身大パネルとの2ショット
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昨日は、11時から平安会館中村斎場で5月16日に79才で亡くなった元双葉(株)前(株)マルハチ社長の八十嶋保さんの社葬が執り行われました。(密葬は5月19日DSC01045
きれいな花祭壇の中心に八十嶋社長の遺影が置かれています。DSC01057
別室には思い出の写真や愛用のゴルフクラブなどが展示されていました。DSC01049
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開式に当たりお別れビデオの放映です。DSC01058
その後、略歴の紹介があり、葬儀委員長の日本セレモニーグループ神田会長の式辞がありました。DSC01062
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八十嶋社長、通称やっさんとの付き合いは48年の長きにわたっています。彼は根っからのあきんどで、神がかりの行動力を発揮して激動の時代に立ち向かい今日の成功を築きました。

やっさんのモットーは、「at once」すなわち直ちに行動する。いいと思ったことはすぐに取り掛かるということです。それにまつわるエピソードを1つ紹介します。

今から20年ほど前、やっさんから1本の電話がありました。これからデトロイトに霊柩車を買いに行くので、神田社長発注してね。突然のことです。当時双葉は霊柩車の販売はしていませんでした。英語もしゃべれない。デトロイトには行ったこともないやっさんです。「商いは一方的に運ぶ」というやっさんの信念の元、見事に霊柩車を買うことに成功しました。

2ヶ月前、一緒にカラオケを歌ったばかりでしたが、亡くなる1日前にお見舞いに行って、手を握ったのがやっさんとの最後でした。

神田会長の式辞の後に、お別れの言葉を3名の方が述べられました。

八十嶋社長と生年月日が同じ友人の吉村建築事務所の吉村会長です。DSC01065
東海アド・エージェンシーの今田会長です。DSC01066
最後は八十嶋社長が創業して発展させた双葉の大河社長です。DSC01067
大河社長は6年前に八十嶋社長と初めて会った時にのエピソードを語ってくれました。

生ビール10杯のんでもケロッとしているので驚きました。そして、50年前に縁日の屋台で数珠を売っているのを見た瞬間にこれから葬祭に使うものの販売をしようと行動を直ちに起こしました。

神田会長の式辞のエピソードと通じるものがありますね。

その後、献花があり喪主代理の小田さんとDSC01075
施主の(株)マルハチ藤川社長の謝辞で閉式となりました。DSC01077


続いて、別会場で食事会です。DSC01091
神田会長の献杯で始まりました。DSC01090
やっさんとの思いでを楽しそうに語る友人としての神田会長の顔が印象的でした。DSC01085
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神田会長もやっさんのモットー「at once」&「商いは一方的に運ぶ」を大切に行動している人物だと感じます。

  アットワンスすぐにやること心掛け商い続けやっさんは逝く

和気あいあいの中、マルハチの藤川社長の中締めのご挨拶でお開きとなりました。DSC01093


やっさんを天国へといざなうかのような今朝の日の出の太陽でお別れします。(4時48分)DSC01115
今朝の太陽は、気のせいか、やっさんの顔の輪郭のようです。

今日の曲は、やっさんがよく歌った 霧島昇 誰か故郷を想わざる
作詞は西條八十です。

明るく、元気に、前向きに生きて旅立ちました。故圡田美子名古屋平安閣グループ前会長葬儀(6月4日、5日)

<今日の表紙>故圡田美子前会長の等身大パネルと2ショット
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6月4日、5日は、平安会館東名斎場で名古屋平安閣グループ前会長の故圡田美子様の通夜、葬儀が執り行われました。DSC00341
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斎場入り口には、故人が愛したご自宅の門を復元してお客様をお迎えしていました。DSC00398


僕は4日の通夜の前、3時から5時まで近隣ご友人のための時間を用意していただいていましたのでそちらの時間にお伺いしました。

斎場のいたるところに故人の思い出の写真が飾られていました。DSC00323
ご自分で書かれた年賀状や絵葉書もいっぱいです。故人は僕と同じ卯年生まれです。DSC00316
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美しい花祭壇の中央に故人の遺影があります。DSC00327

遺影写真も5枚ほどがスライドショーで変わります。DSC00382
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昨日は12時半から大勢の会葬者にお集まりいただいて葬儀が始まりました。御導師様入場の前にお別れビデオが流れました。DSC00377
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そして、御導師様たちが入場してお経を唱えれられました。DSC00384


その後、葬儀委員長の平安閣グループ田代社長がお別れの言葉を述べられました。DSC00386


多くの方たちの焼香が終わると、喪家を代表して喪主で故人の長男 圡田直樹様からの御礼の言葉がありました。DSC00393
母は常に明るく、元気に、そして前向きに生きてきました。すい臓がんでの闘病生活の10ヶ月の間も10回ほど1泊以上の旅行に行って楽しんでいました。いつも前向きな母に対しては感謝の気持ちでいっぱいです。

大勢の人達に送られて東名斎場を後にしました。DSC00396


故人は、生前、闘病中にもかかわらず、なんと6種類ものお別れの言葉を書いていました。DSC00399


地域の皆様、ご近所の皆さまへ

同窓会の「のしろ会」「たけのこ会」の皆さまへ

平安閣グループの皆さま、お取引様や協力会の皆さまへ

仕舞や謡曲のお稽古を一緒にしていただいた皆様へ

全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の皆さまへ

いとこの会の「むぎの会」の皆さまへ

全部読みましたが、故人の温かい思いやりの気持ちがすべてのお別れの言葉に溢れていて感動の涙を禁じえませんでした。

  大勢に笑顔振りまき前向きに楽しく生きて天国へ行く

故人が天国へ昇って行くような、今朝の日の出の時のまっすぐに昇って行っている煙突の煙が印象的でした。(4時48分)DSC00420


2011年6月17日のアユ料理をご一緒に食べた時の懐かしい故人との2ショットでお別れします。012
楽しい思い出の数々、ありがとうございました。 合掌

今日の曲は、故人がとてもお上手だった歌 美空ひばり 川の流れのように




やっさん(双葉(株)八十嶋保 前社長)さようなら!長~い間ありがとう!

<今日の表紙>双葉(株)八十嶋保前社長の遺影
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昨日は、朝早く姫路を後にしました。DSC09737
17日に亡くなった双葉(株)八十嶋保前社長の葬儀に参列するためです。

会場は、僕の住む春日井市の平安会館春日井中央斎場です。DSC09757
8年半前に僕の妻の葬儀をした斎場です。

突然の訃報を聞いて、ただただ驚いていました。

祭壇と壁には多くの供花が並べられていました。DSC09744
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八十嶋家の家紋です。DSC09743


八十嶋さんはお客様の多くから、「やっさん」の愛称で親しまれていました。

一代で、双葉(株)を創業して発展させて、自分は平成27年12月から(株)マルハチを設立して新事業を軌道に乗せる最中のことでした。

この7月29日で満80歳になるところでの逝去でした。

とにかく、仕事しか頭になく、亡くなる直前まで仕事のことを話していたそうです。

仕事と遊びが一緒のような人生を歩み、独特の営業スタイルで多くのお客様から愛されてきました。

僕も、13歳以上の年の差がある中、やっさんに学ぶことが多くありました。

いいと思ったことはすぐにやる。軽いフットワークでいろいろなアイデアを実現してきました。

失敗談も多くあり、独特の風貌が醸し出す雰囲気の中、やっさんだから、仕方ないな、はっはっは!と親しまれていました。

葬儀前に「お別れビデオ」が流れました。DSC09745
その中でも、懐かしい僕も入ったゴルフコンペの写真が出てきました。DSC09749


30年ほどの長~い時間を楽しませていただきました。

僕のブログにも再三登場しています。そのときの懐かしいショットの数々をどうぞ!
2012年1月21日サイパンで006
2011年10月蘇州寒山寺での寒山の画の前にて047

2011年11月中京ゴルフクラブにて010
2011年10月中国の商丘の双葉(株)の工場にて029


葬儀前の受付で配られた「来し方」に載っていた写真でも、やっさんの後ろに僕がいました。DSC09760


導師が入場して葬儀が始まりました。DSC09752
焼香の後に喪家を代表して八十嶋勉さんがやっさんの最後のエピソードを交えて謝辞がありました。DSC09753
入院して2回もうだめだと家族が集まって来ましたが、本人はケロリとしていました。さすがに4回目に安らかに逝きましたが、最後まで仕事のことを話していて、父らしい最後でした。DSC09755


販売する商品は違いますけれど、営業の大先輩だった、やっさんとのお別れはさびしいものです。(後日お別れの会の予定あり)

数えで80歳という、自分の名字通り(八十嶋)の寿命を全うしたやっさんの人生を祝福します。

  数々のドラマを作り楽しんでやっさんやっぱり八十で逝く

なんとも言えない表情の温泉でのやっさんでお別れします。DSC09761


今日の曲は、KOKIA ありがとう














兄健一の一周忌を終えて思い出したこと&感じたこと

<今日の表紙>昨年の3月5日の兄健一の葬儀前の家族、親族
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兄健一の葬儀の日から、早くも1年が経ちました。

昨日の帰りの飛行機の窓から見えた春霞の中の山々。DSC06622


葬儀の日からわずかで熊本地震が起きて、別府の家も被害を被りました。

葬儀では、やはり火葬場で荼毘に付して、兄の骨を拾ったことで、兄がこの世からいなくなったと実感できました。

兄の嫁、子どもたちも1年が経つと表面的にはすっかり兄がいない生活に慣れているようです。

1年の間に、孫の成長は僕たち親戚の間にも驚くほどです。DSC06596


一周忌では、兄のエピソードよりも、近況の情報交換のほうがはるかに多い話題でした。

兄のお話しは、僕は兄と雨と霧の中でした2年前6月30日の最後のゴルフのことでした。057
兄の霧の中のティーショットとゴルフが終わってびしょ濡れのショットです。063
この写真が兄(左端)との最後のショットです。

親族の絆を確認するために、一周忌などの法事が重要だなと感じます。DSC06593


息子夫婦も孫を連れて初めて別府の家やお墓参りに来ることが出来ました。

親戚の兄さん、姉さんとも笑顔でお話しすることが出来ました。

今では、僕の他、東京、北九州、佐世保など遠くから別府に集まってコミュニケーションできる機会として兄の一周忌は役に立ちました。

若い人は若い人同士、年寄りは年寄り同士、会話が弾むと何かが生まれます。

今回の兄の一周忌は大勢の親族が集まりにぎやかにできました。

来年の三回忌が楽しみです。

葬儀や法事は、親族のコミュニケーションの機会として大事です。

今の時代では、親族が日本中に散らばっていることが普通ですが、兄や僕が子供のころは、大分県中津市今津の狭い地域で日常的にコミュニケーションをして暮らしていました。

ですから、結婚式や葬儀、法事などでしか集まれないのが現実です。

僕たちの子どもや孫の時代では、それもかなりハードルが高い行事となるでしょう。

老若男女が多く集まって、いろいろなお話しに花が咲くこの日本の伝統を大事にしていかなくてはと思いました。

  兄が逝き 春夏秋冬 廻り来て 集い楽しく 一周忌終わる

来年も、別府の湯けむりが見れますように!DSC06612
昨朝のホテルの部屋の窓から

今朝の穏やかな春のパノラマでお別れします。(6時22分)DSC06625
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今日の曲は、中島みゆき 荒野より



僕の葬儀もアーノルド・パーマーの場合のような笑顔の溢れる葬儀でありたい!(舩越園子さんの「追悼アーノルド・パーマー」)

<今日の表紙>この木の実は〇〇ー〇の実です。
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先日、花屋さんの前を通っていたら入り口付近に置いていました。

可愛い、オリーブの実です。オリーブ・オイルの元です。

先月25日に、かっての偉大なゴルファー アーノルド・パーマー(米)が87歳の生涯を静かに閉じました。

あの、カラフルな傘のマークを思い出す人も多いでしょう。その本人です。

スポーツのビジネスモデルを作った人でもありました。

僕の好きなコラムニスト舩越園子さんが、20日の朝日新聞夕刊の「素顔のプロたち」でパーマーの死を悼んでいます。DSC01458


タイトルは、「パーマーの魂 身近で永遠」

最後にこう書いています。

そう、パーマーの魂は永遠で、そして身近だ。傘のマークのウェアやグッズ。レストランやバー、スーパーでもパーマーに会える。静かにほほ笑むパーマーを感じれば、ほっとして笑顔になれる。だから大丈夫、さびしくないよ。ありがとう、アーニー。

僕は、舩越園子さんのツイッターのフォロワーですので、10月6日の舩越園子さんのブログを読むことが出来ました。

その中に、アーノルド・パーマーの葬儀の模様が詳しく書かれていました。

彼の人柄がよく出ていて、心を打たれました。そして、パーマーの偉大さがよくわかりました。

では、舩越園子著「追悼アーノルド・パーマー 現代ゴルフ界の礎を築いた男の「背中」 あなたはみんなのお手本だった」をどうぞ・・・・・DSC01451

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10月4日(米国時間)の朝。ペンシルベニア州ラトローブのセント・ビンセント大学大聖堂にはアーノルド・パーマーのメモリアル・サービスに参列する人々が続々と詰め寄せていた。DSC01457

パーマーが87歳で逝去したのは去る9月25日。それから1週間以上経ってからこの葬儀が執り行なわれたのは、逝去の翌週に米欧対抗戦のライダーカップが予定されていたからだ。
パーマー自身も1975年にキャプテンを務めたライダーカップは、米国の名誉をかけた大切な戦いだ。
「祖父は自分の葬儀がライダーカップの邪魔になってはいけない、邪魔したくないと思っているはず」とは、パーマーの孫で米ツアー選手のサム・サンダースの言。
そんな親族の意向によって、パーマーの葬儀はライダーカップ終了の翌々日のこの日に設定された。
ライダーカップの会場に設置されたボードには選手もファンも追悼コメントを書き込んだ。DSC01456

近郊のアーノルド・パーマー・リージョナル・エアポートには各界の要人やトッププレーヤーを乗せたプライベートジェットが次々に降り立った。
大聖堂前の広場には、かつて“キング”から王座を引き継いだジャック・ニクラスを筆頭に、トム・ワトソンやニック・ファルドといった往年の名プレーヤー、アーニー・エルス、フィル・ミケルソン、そして現代と未来のゴルフ界を担う若い選手たちの姿もあった。
その昔、アーニーズ・アーミーと呼ばれたパーマーの追っかけ隊に籍を置き、今は70歳代、80歳代になっている元メンバーたちもパーマーを慕う一般のファンも後から後から詰め寄せた。

プロゴルファーとしての「在り方」

先週のライダーカップで8年ぶりの米国勝利に貢献したリッキー・ファウラーが、奪還したばかりの優勝カップを抱いて大聖堂の階段を昇っていった。そして、アシスタント・キャプテンを務めたバッバ・ワトソンとともに優勝カップを祭壇に飾り、現代のゴルフ界の礎を築いた“キング”に勝利を捧げた。
「ミスター・パーマーが行なってきたことは、インサイドロープでもゴルフから離れた場所でも、どんなところでも彼をキングたらしめた。世界中が彼を決して忘れない」
ファウラーはパーマーの現役時代をまったく見たことがない。だが、アーノルド・パーマー招待などいくつかの大会で見たり接したりしたパーマーは、すぐさま彼の憧れの人になったそうだ。
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左から、リッキー・ファウラー、バッバ・ワトソン、フィル・ミケルソン
振り返れば、パーマーのスター選手としての「在り方」は、ミケルソンやファウラーの中にもしっかりと息づいている。
かつて、全米オープンでパーマーと練習ラウンドを回ったミケルソンは、ラウンドを終えたその足でボランティアテントへ向かい、ボランティア全員に声をかけながら握手をするパーマーに衝撃を受けた。
求められれば30分でも1時間でもサインや握手に応じ続けるサービス精神旺盛な今のミケルソンは、そうやって生まれ出た。
そんなミケルソンに倣い、ファウラーもまたファンサービスを誰よりも大切にする選手になった。優勝争いで惜敗した直後でさえ、サインや握手を決して拒まず、笑顔で記念写真に収まるファウラーは、そうやって生まれ出た。
パーマーからミケルソンへ、ファウラーへ。みんなから愛され、みんなを愛する米国のスタープレーヤー。それはパーマーが何より望んだプロゴルファーの在り方だった。

優れたビジネスマンでもあった

大聖堂の左前方に飾られたパーマーの遺影は、ゴルフウエアではなくカジュアルなシャツを着て、優しく微笑んでいた。
メジャー7勝、通算62勝を挙げたゴルフウエア姿のパーマーは、すでにヒストリーブックの中。普段着姿のその遺影は、トッププレーヤーにも草の根ゴルファーにも、ゴルフをする人にもしない人にも、誰に対しても同じ笑顔で接し、社会貢献に余念がなかった晩年のパーマーそのものだった。
フロリダ州に創設したアーノルド・パーマー小児病院では1989年以来、20万人の赤ちゃんが誕生した。パーマー自身が前立腺がんを経験したことがきっかけで2002年に創設した前立腺がんのためのチャリティ基金は、以後、2500回のチャリティトーナメントを開催し、3ミリオン(300万ドル)を前立腺がん研究機関へ寄付した。
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遺影の下方にはパーマーの赤と白のゴルフバッグが飾られ、お馴染みのあのカラフルな傘のマークが鮮やかだった。
思えば、プロゴルフ界で大きなお金が動くビジネスモデルの原型を作り出したのもパーマーだった。
「私は文字取り、お金がなかった」と、生前、プロ転向した1954年当時を振り返っていたパーマー。
だが、1960年にマーク・マコーマック(故人)とIMGを創設し、その翌年にウイルソン(当時)とスポンサー契約を結んだこと、パーマーをシンボライズする傘のマークを作り出し、ウエアやグッズのすべてに傘マークを付けて世に広めたことは、その後のプロゴルフ界、ひいてはスポーツビジネス全体の手本となった。
ゴルフのみならずビジネスの才もあったパーマーの生涯収入は推定675ミリオン(6億7500万ドル)。米ゴルフダイジェスト誌が毎年発表するプロゴルファーの生涯収入番付で、晩年のこの3年間もタイガー・ウッズ、フィル・ミケルソンに次ぐ3位だった。
すべてが大事。すべてが平等
おごそかに、しかし、しめやかではなく和やかに進行していったメモリアル・サービス。
パーマーが天国へ逝ってしまったことは淋しいけれど、悲しむのではなく、たくさんのものをもたらしてくれたキングに感謝して見送ろう。人々のそんな想いが大聖堂に温かい空気を醸し出していた。
檀上に立ち、パーマーとの思い出を語る選手や関係者、友人たち。誰の話の中にも笑顔の優しいパーマーが居た。
パーマーの孫のサム・サンダースが、このメモリアル・サービスを準備していたときの秘話を語った。DSC01454


「会場を決めるとき、一体、何人ぐらいの人々がこの葬儀に来てくれるのかがわからず戸惑った。この大聖堂は大勢の人々を一度に全員受け入れられるほどの広さではない。でも、来てくれた人は絶対に誰一人として、そのまま突き返すようなことがあってはならないと僕ら親族は肝に銘じた。祖父はそんなことは絶対に望まないはずだから」
人間に上も下もない。モノゴトに上も下もない。すべてが大事。すべてが平等。そんな祖父の姿を物語る逸話を孫のサンダースが明かしてくれた。
「決して忘れられない出来事がある。あるとき僕が祖父に電話して『今どこ?』って聞いたら、祖父は『プレジデントと一緒だよ』と言った。それで僕が『どこの何のプレジデントと一緒なの?』と尋ね返すと、祖父は『ユナイテッド・ステートのプレジデントだよ』。
僕は驚いて『大統領と一緒のそんな大事なときに何で僕からの電話なんかに出たんだよ』って言ったら、祖父はこう答えた。『だって可愛いオマエと話がしたかったからさ』」
アーノルド・パーマーとは、そういう人だった。

在米ゴルフジャーナリスト
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最後の孫のサムのエピソードがいいですね!

笑顔で、パーマーを弔うことができる葬儀。こういう雰囲気にできるパーマーの人柄。

憧れますね。

僕の葬儀は、予定では生誕30000日の2033年5月11日以降です。そして会場はもちろん岸バドミントンアリーナ(KBA62)。DSC00214
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今のところ、来ていただいた方には、僕の「最後の晩餐」で食べたい「仙台の牛タン」をプレゼントしようかなと思っています。DSC00221


パーマーの葬儀とは、比較になりませんが、涙も少しあって、でも笑顔で送っていただける葬儀にしたいですね。(汗&笑)

  逝くときは 皆の憧れ パーマーみたい 涙と笑いの 僕の葬式

季節外れの花を咲かせている名城公園の信号角の桜でお別れします。DSC01395


今日の曲は、坂本冬美&谷村新司 秋止符








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