<今日の表紙>昨日の嵐の前のきれいな夕焼け
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昨日の夕方のスーパーの水のペットボトル棚はすでに空っぽでした。DSC06709


9日の朝日新聞夕刊に「惜別」が載っていました。

8月に亡くなった3人への惜別のことばが綴られていました。

その中で、箏(そう)奏者の野坂操寿(そうじゅ)さんへの吉田純子さんの惜別のことばがとっても印象的でした。DSC06697


音楽に関わる人への吉田純子さんの惜別のことばは、まるで音楽を奏でるような文章です。

今回の箏奏者の野坂操寿さんへの惜別のことばも愛情あふれる素晴らしい表現力に僕の心が踊らされました。DSC06698
左側が野坂さんです。

野坂さんへの惜別のタイトルは「未知の音へ変わり続ける喜び」です。
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 新たな響きを見つけると、はやる心を隠せず少女のようにはしゃいだ。その屈託のない表情から、伝統と革新の折り合いをつける壮絶な精神の葛藤をうかがい知ることは難しかった。
 母は宮城道雄に師事した初代野坂操寿。東京芸大に進み、希代の名手に。旧来の十三絃(げん)に充足せず、より豊かな響きをと二十絃箏(そう)を考案し、欧米で20回を超えるソロ公演を成功させた。
 しかし、世界から脚光を浴びるほどに、徐々に自らを見失い始める。「華やかな技巧を披露して、喝采を浴びて。こんなことに何の意味があるのか」
 約3年の自問ののち、吹っ切れる。使命感にとらわれず、まずはやりたいことをやってみよう。1986年、小劇場「渋谷ジァン・ジァン」で復帰。民族音楽、ジャズ、ポップス。未知の響きへと自らを開き始めた。
 5年後、新たな表現領域を模索し、二十五絃箏を開発する。助力を惜しまなかったのが「ゴジラ」の作曲家、伊福部(いふくべ)昭だった。アイヌ文化とアマチュアの人々への敬意を礎にした独歩の巨人は、作曲中の楽譜を床に広げ、野坂さんに向かって静かに言った。「ここから音を削(そ)いで、削ぎ抜いた世界から響いてくる音に耳を傾けるんです」
 音を削ぐ。この矜持(きょうじ)に打ちのめされた。その生き方を体現する真実の同志にその後、出会うことになる。沢井一恵さん(78)。夫の故沢井忠夫とともに邦楽の領域を押し広げ、坂本龍一さんら異分野の才人と無邪気に心を交わすこの人もまた、軽やかなパイオニアだった。
 天性の華で酔わせる野坂さんと、一音ごとに思索しては垣根を越える沢井さん。対照的な個性が2010年、山荘での企画公演で思いがけなく響き合う。翌年、「変絃自在」なるユニットを結成。新作委嘱と初演に精力を傾けた。「箏なんて見たこともないという人にこそ曲を書いてもらいたい。私自身が気づいていない、この楽器のポテンシャルに驚かされたいから」
 今年に入って病が発覚。しかし、病床でも変わらぬ好奇心の純粋さと精神の明朗さが「きっと死の影を払う」と沢井さんは信じていた。「無音の世界にまで一緒に旅のできる、人生で初めての本物の友達でした」
 他者の世界を受け入れ、自ら変わり続けることが喜びとなった。海外で活躍する後進も育てた。その晩年はかつてなく解き放たれた、人生で最も豊かで幸福な日々だったに違いない。(編集委員・吉田純子)
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久しぶりに、吉田純子さんの「惜別」を読むと「音楽はなんと素晴らしい芸術なんだ」と改めて実感できます。そして、僕を不思議な未知の世界へ導いてくれます。まさに、言葉を奏でる吉田純子さんの文章の力です。

  音楽を育てて逝った人たちに感謝の言葉純子は奏で

10月7日の朝日新聞折々のことばでお別れします。DSC06512
「年中、快晴の日ばかりだと花は咲かない」。そして、台風19号の雨が降り続いている今朝です。

今日の曲は、RUI 月のしずく