<今日の表紙>2011年11月21日の仙台空港そばの料理屋さんの1震災で津波に襲われた痕
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仙台に行った時に撮りました。

毎年、3月11日に東日本大震災についてのブログを書いていましたが、今年は、これから長浜でバドミントンの試合がありますので、11日は試合の結果などのブログを予定しています。ということで、1日早いですが東日本大震災のブログを書きます。

もう7年が経ちました。日数にして2556日、明日で2557日経ちます。

最近のNHKニュースなどでは、震災の爪痕がなくなってきて、風化が進んでいることを告げていました。

時の流れには逆らえませんので、これも致し方ない現実でしょう。

一方、福島第一原発の処理は、まだまだこれからも大変です。避難地区に戻れるようになっても、戻る人はわずかです。

先日、仙台でバドミントンの試合に行った時に、試合後秋保温泉の旅館に泊まりました。

そこでは、日本人客は大勢いたのですが、外国人客は1人も目にしませんでした。

外国の旅行者は、東北=福島=放射能が怖いということなんでしょうか?

僕が外国人旅行者でしたら、東北は避けるかもしれません。それくらい旅行者にとってアバウトならば避けることが常識です。

国が援助して、安全な東北を外国にPRすることも大事です。

それでは、あの日を忘れないために2011年3月12日の僕のブログをリアップします。
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3月11日午後3時ごろ、僕は会社からお客様に電話をしていました。
そのとき、最初はゆっくりした小さな揺れがきました。だんだん揺れが
大きくなり4,5分続きました。

僕は、直感的に名古屋からかなり離れている地域で大きな地震が起きたな
と思いました。
すぐ社員から、ネットに東北地方で地震が発生したとのっていますよとありました。

16年前の阪神淡路大震災の時も、名古屋ではゆっくりした揺れが長く続きました。

TVをつけると、どのチャンネルでも地震の映像が流れていました。

しばらくすると、津波が港の市場に入り始めからみるみるうちに市場が
津波にのみこまれるライブ映像が流れてきました。

僕はどうすることもできないもどかしさを感じました。

それからしばらくは、東京や仙台やいろいろな港のライブ映像が流れました。

僕は、今のぼくがいる普通の環境と地震の被害にあった地域とのギャップを味わうことになります。

16年前、阪神淡路大震災が発生した4日後に僕は救援物資をお客様に届けに
トラックに乗って神戸に行きました。

その時にトラックの窓越しにみた神戸の風景は、日本ではないように感じました。

神戸付近以外の日本では、普通の生活がいとなわれ、モノがあふれていました。

その時に感じたなんともいえないギャプをTVをみていて思いだしました。

今度の地震は、16年前とちがって東京から東北までの広い範囲に被害がでていることと
2004年のスマトラ島沖地震のときのような津波の被害が大きいです。

いずれにしろ結構長い間、僕はなんともいえないギャップを感じて生きると思います。

夜が明けると、被害がだんだんはっきりとしてきます。
これまでに流れた映像を見ているとかなりの被害を覚悟しなければならないと
思います。

仙台には、お客様の会社があり、スキーでサホロに一緒にいった村上さんが住んでいます。

たいへん心配ですが、全く連絡がとれません。
ただ無事を祈るだけです。

夜になって東京に住む僕の息子から電話がありました。
交通機関が止まっているので歩いて自宅に帰っている途中だといっていました。

無事で何よりです。10回ぐらい電話してやっとつながったといっていました。
そのせいかいつもより長く話をしました。

僕は、この日を境に、日本のなにかが変わるような気がします。

人は、こういう自然の圧倒的なパワーの前では無力と思われますが、
このパワーの影響を受けて僕たちは自然から何かを変えられるような気がします。
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7年前、震源から遠い名古屋で体験したことですが、この記事を読み返すと、当時の記憶がよみがえります。この記事に登場する、仙台の村上さんは、まさに震災を仙台で体験し、僕の息子も東京で体験しました。

当たり前ですが、無事でよかった。

  七年前想定外の出来事と言われた地震想定内の今

よく晴れた今朝のパノラマとDSC08729
輝く雲でお別れします。DSC08731


今日の曲は、猪苗代湖ズ I love you&I need you ふくしま