肌寒い弥生の朝の水仙は白く輝き我をもてなす(つれづれウォーキング地蔵川3月2019(2))

<今日の表紙>杉ちゃんが持ってきたホワイトデーのクッキー
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今朝は、少し肌寒い中、3月2回目のつれづれウォーキング地蔵川に出かけました。DSC01820


スタート地点の橋のたもとに来た時にコサギさんが不意に飛んできました。慌ててその方向を見ると2羽のコサギさんが鴨さんたちと仲良く朝食を食べていました。DSC01829
白さがきれいですね。DSC01793


いつもの川沿いを歩いていると、きれいなスイセンが目に留まりました。DSC01799
スイセンはいろんなアングルで僕を楽しませてくれます。DSC01818
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  肌寒い弥生の朝の水仙は白く輝き我をもてなす

ツルニチニチソウも咲き始めていました。DSC01817

いつもの橋の下では、錦鯉さんの子どもが元気です。DSC01800
お兄さんは暖かいところでくつろいでいます。DSC01803


今朝は寒かったですが桜のつぼみはあと1週間もすれば開花しそうです。DSC01797


昨夜の三日月と、DSC01779
美味しくいただいたシャトーブリアン(一切れ1000円)でお別れします。DSC01778


今日の曲は、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ ブルー・シャトー




高校時代の同級生のこうせつ70歳でも頑張っているね。杉ちゃん75歳は 、ホワイトデーのプ レゼントを持って来ました。(老後つれづれ(36))

<今日の表紙>名駅前の通路の花屋さんで見かけたきれいなアジサイ
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名駅前の通路の花屋さんには、早くもアジサイが並んでいました。DSC01757
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そして、杉ちゃんがまたまたバドミントンをしに、昨日ホワイトデーのプレゼントを持ってやって来ました。DSC01761
騒々しい今日、明日になりそうです。(笑)

一昨日の朝日新聞夕刊を何気なく見ていると、よく知った顔が載っていました。DSC01744
高校1年の時の同じクラスの同級生で、歌手の南こうせつです。

デビュー50周年とのことで、新アルバムと書きおろしエッセー「いつも歌があった」、そしてベスト盤「南こうせつの50曲」の記事が載っていました。DSC01743


僕はもうすぐ68歳(23日)。こうせつはお寺の息子で南高節という珍しい本名で2浪して高校に入学したので70歳です。同じクラスになったときから、音楽にかける情熱はすごかったことを覚えています。

70歳になってなお、歌を唄っているということはすごい!そして、大分県の杵築に住んでいます。

2002年に新潟県上越市の結婚式場でのディナーショーで大学3年生の時以来33年ぶりに会った時でも、大分の高校時代の友人のことは僕よりもよく知っていました。DSC01746
その時の僕の名刺の裏の彼のサインです。(当時の僕の苗字は宮津)

写真を見る限り、加山雄三も若いですが、南こうせつもかなり若いですね。

僕の今後の励みになります。身近には、杉ちゃんがいますので、僕の環境は恵まれています。

こうせつは大学時代からプロ歌手デビュー50周年、僕も大学時代からバドミントンを50周年です。

  こうせつは歌い続けて50年同じく僕もバド50年

昨日の青空をバックにした白がきれいなJRタワーズでお別れします。DSC01751


今日の曲は、南こうせつ 神田川



今年の初ゴルフは春雨に散った散々花、いやサザンカのようでした。(涙)

<今日の表紙>一昨日朝のきれいなパノラマ
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神秘的な日の出です。DSC01712

そして、煙突の煙も真上に昇っていました。DSC01713

そんな、グッドコンディションの中、僕の今年の初ゴルフが始まりました。

ゴルフ場は、池が多い、春日井市のオールドレイクゴルフ倶楽部です。DSC01716
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昨年の7月に釧路でゴルフをして以来ですので、8ヶ月ぶりのラウンドになります。

釧路では4回プレイして4回とも100を切れなかったことを思い出しました。

そして、前半は58。100を切ることは絶望的な結果が待っていました。後半は、スタート直後から雨が降って来ました。DSC01719
春雨の中のプレイになりました。

前半に比べると、持ち直して、最終ホール前は9オーバーでした。でも、最後のミドルホールで10を叩き撃沈されました。スコアは51。58・51の109で危うく110を叩くところでした。(汗)

トラブルショットを打った時のリカバリーが全然ダメでした。釧路でのゴルフから数えると5ゲーム連続100以上です。(涙)

  去年から5ゲーム続く100叩きたかがゴルフと我を慰む

春雨に煙る山並みです。DSC01725

池には、小さい鴨さんがゆっくり泳いでいました。DSC01724


次は仙台で4月にプレイする予定です。桜が咲いているかもね。100を切るかもね。(笑))

春雨に散ったサザンカのようなプレイ後の僕でお別れします。DSC01727


今日の曲は、SEKAI NO OWARI サザンカ



福島第一原発の廃炉がいかに難しいかがはっきりした8年目を迎えました。

<今日の表紙>陸前高田市を襲った津波の高さ(15.1m)がわかるガソリンスタンドの看板
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津波の高さはこの看板の最上部まで達していました。2年前大船渡へ行くときに撮りました。
そして、2011年11月21日の仙台空港そばの料理屋さんの震災で津波に襲われた痕
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仙台に行った時に撮りました。

ガソリンスタンドの看板も撤去され、仙台空港近くも復興が進んでいます。しかし、福島第一原発はまだ推定で40年も廃炉にかかるようです。そして、その費用も70兆円を超える試算も浮かび上がっています。誰にも未来がわからないのが現実だなと感じます。

今日であの日から2922日経ちました。まだ8年しかたっていないというのが実感です。あれだけの大事故を起こしながら、原発を稼働するというのは全く理解できません。

  原発の燃料デプリに触れ初めたり冥(くら)くて遠き廃炉への道 名古屋市 諏訪兼位

  規制値を緩めただけで安全な汚染土になる数字の魔力 福島県伊達市 佐藤茂

最近の朝日歌壇でも依然として原発事故の歌が多いです。

それでは、僕の体験を8年前のブログで振り返ります。
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3月11日午後3時ごろ、僕は会社からお客様に電話をしていました。
そのとき、最初はゆっくりした小さな揺れがきました。だんだん揺れが
大きくなり4,5分続きました。

僕は、直感的に名古屋からかなり離れている地域で大きな地震が起きたな
と思いました。
すぐ社員から、ネットに東北地方で地震が発生したとのっていますよとありました。

16年前の阪神淡路大震災の時も、名古屋ではゆっくりした揺れが長く続きました。

TVをつけると、どのチャンネルでも地震の映像が流れていました。

しばらくすると、津波が港の市場に入り始めからみるみるうちに市場が
津波にのみこまれるライブ映像が流れてきました。

僕はどうすることもできないもどかしさを感じました。

それからしばらくは、東京や仙台やいろいろな港のライブ映像が流れました。

僕は、今のぼくがいる普通の環境と地震の被害にあった地域とのギャップを味わうことになります。

16年前、阪神淡路大震災が発生した4日後に僕は救援物資をお客様に届けに
トラックに乗って神戸に行きました。

その時にトラックの窓越しにみた神戸の風景は、日本ではないように感じました。

神戸付近以外の日本では、普通の生活がいとなわれ、モノがあふれていました。

その時に感じたなんともいえないギャプをTVをみていて思いだしました。

今度の地震は、16年前とちがって東京から東北までの広い範囲に被害がでていることと
2004年のスマトラ島沖地震のときのような津波の被害が大きいです。

いずれにしろ結構長い間、僕はなんともいえないギャップを感じて生きると思います。

夜が明けると、被害がだんだんはっきりとしてきます。
これまでに流れた映像を見ているとかなりの被害を覚悟しなければならないと
思います。

仙台には、お客様の会社があり、スキーでサホロに一緒にいった村上さんが住んでいます。

たいへん心配ですが、全く連絡がとれません。
ただ無事を祈るだけです。

夜になって東京に住む僕の息子から電話がありました。
交通機関が止まっているので歩いて自宅に帰っている途中だといっていました。

無事で何よりです。10回ぐらい電話してやっとつながったといっていました。
そのせいかいつもより長く話をしました。

僕は、この日を境に、日本のなにかが変わるような気がします。

人は、こういう自然の圧倒的なパワーの前では無力と思われますが、
このパワーの影響を受けて僕たちは自然から何かを変えられるような気がします。
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8年前、震源から遠い名古屋で体験したことですが、この記事を読み返すと、当時の記憶がよみがえります。この記事に登場する、仙台の村上さんは、まさに震災を仙台で体験し、僕の息子も東京で体験しました。

仙台の村上さんも、僕の息子も今は元気で毎日を過ごしています。

ふつうの日常のありがたさを感じていると思います。

それに引き換え、福島第一原発の気の遠くなるような廃炉の時間です。

  福島の廃炉の時間超スロー時の流れに抗う如く

あの日から8年目の朝を迎えたスッキリしない今朝のパノラマでお別れします。DSC01729


今日の曲は、猪苗代湖ズ I love you&I need you ふくしま


計画通り(汗)3位同士のトーナメントで優勝しました。(?)(第15回びわこシニアオープン年齢別混合バドミントン交流大会)

<今日の表紙>ヨネックスのNEWバドミントンウェアのモデル(?)
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昨日はいいお天気の朝でした。DSC01674
煙突の煙が何となくタツノオトシゴのようです。DSC01673

そんな中、長浜へバドミントンの試合に出かけました。

ペアの丸山さんの車に乗せてもらい高速道路を快調に走ります。DSC01676
伊吹山がくっきり。

長浜市民体育館に8時半ごろついて9時から第15回びわこシニアオープン年齢別混合バドミントン交流大会の開会式が始まりました。DSC01677
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司会はKBAでおなじみの天野さんです。DSC01686
なかなか上手でした。

試合が始まりました。DSC01695


僕は合計年齢120歳以上クラス混合ダブルスにいつも一緒に練習している丸山さんと昨年同様に出場しました。1552136249396



最初は4ペアのリーグ戦です。僕たちは、1勝2敗で終わりました。(涙)3位です。

でも、この大会は、3位同士のトーナメントも実施してくれますので最後まで楽しめます。

そこで、見事2勝して3位の中では優勝です。DSC01704
優勝賞品はお菓子です。

  負けてなおうれしい企画用意するびわこシニアは2度楽しめる

この大会は、滋賀県で行われていますので、KBAでの友人たちもいっぱい出場してそれぞれに頑張っていました。吉崎・保科ペアです。DSC01688
藤井・山田ペアです。DSC01693
KBAを管理アしていただいている小島・中村ペアです。DSC01696
中嶋・杉谷ペアです。DSC01698
司会も活躍した森・天野ペアです。DSC01699
そして、負けてもいつも笑っている山田・古田ペアです。DSC01700


皆、それぞれにバドミントンを楽しんでいました。

僕のブログを読んでいただいている人もちらほらいて、ゆるガット(13ポンド)のラケットを触っていただいたり、打って体験していただいたりして、アドバイスを求められました。

今回の僕たちのゾーンはレベルが高くてゆるガットがあまり活躍できませんでしたが、3位のトーナメントではかなり有効でした。やっぱり、接戦に強いゆるガットです。

6時過ぎに会場を後にして、勝川の食事処で丸山さんと楽しい食事をしてお別れしました。

夕食の美味しいひつまぶしでお別れします。DSC01706


今日の曲は、サザンオールスターズ いとしのエリー


昨日は、亡くなって11回目の妻の誕生日。お墓参りに行って来ました。

<今日の表紙>亡妻のお墓と2ショット
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昨日は、生きていたら68歳の亡妻の誕生日でした。

亡くなって11回目の誕生日です。ということで、いいお天気に恵まれた昨朝、DSC01642
覚王山の亡妻のお墓参りに行って来ました。DSC01651


昨年12月1日に10年祭をして約3ヶ月ぶりのお墓参りです。DSC01652
やっぱりいまの僕との歳の差が気になります。僕も3月23日で68歳になりますので、妻が亡くなった時から11歳歳を取ります。

20年祭には、この歳の差を埋めるお墓にする予定です。

亡妻のお墓参りは、お墓のマンションですので手ぶらで行ってお参りをして帰るだけでは味気がないので、必ずその時にお墓の前で僕の短歌を亡妻に聞かせています。(汗)

では、今回の歌です。

  妻が逝き子供が去ってわがままな時を楽しむソリチュードの朝

ソリチュードとは、孤独を楽しむことです。一方、ロンリネスとは、一人ぼっちで寂しいことです。

妻が亡くなり10年も経てば独り暮らしにも慣れて、静かな独りの朝が僕にとっては居心地が良くなっています。

お墓参りを終えて、病院で右ひざのメンテをしていただいて午後からは映画を観るために名駅前へ行きました。DSC01664



毎月8日と27日(?)はまるは食堂チカマチラウンジ店では、チカマチランチが普段5食限定が無制限になっています。DSC01663
1500円ほどの内容のランチが980円(ご飯の小盛は930円)映画の半券を提示すれば600円までのドリンク1杯サービスです。DSC01662
迷わず美味しくいただきました。これも亡妻のお墓参りのお陰だと思いました。

今年も亡妻の誕生日のお墓参りに行けたことを感謝します。そして、亡妻が詠った亡妻の生まれた3月の歌を3月生まれの人たちへプレゼントします。

  菜の花にすみれたんぽぽチューリップ花咲く弥生わが生れし月

お墓参りが終わって地下鉄池下駅に歩いて行く途中で見かけたきれいな沈丁花の花でお別れします。DSC01661


今日の曲は、熊木杏里 誕生日




舩越園子さんお疲れさまでした。(素顔のプロたち 米国ゴルフツアー)

<今日の表紙>花の下からのクリスマスローズのショット
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昨日はミッドランドスクエアシネマで映画を観ました。その時に通るB1の通路沿いにクリスマスローズが今咲き誇っています。DSC01626
花がお辞儀をしていますので花の下から撮りたくなります。DSC01625
きれいでしょ!

このクリスマスローズの撮り方のようにとっても表現力豊かな文章でアメリカの男子プロゴルフツアーを僕を楽しませてくれていた朝日新聞夕刊のコラム「舩越園子 素顔のプロたち 米国ゴルフツアー」が昨日で最終回となりました。DSC01636
2002年4月から毎月1、2回のペースで何と417回です。DSC01637



最終回にも書いている通りタイガー・ウッズの事が一番多かったようですが、名も知れないプロの話とか、直接の試合の事ではない話とか、このコラムでないと知りえなかったことが多く書かれていました。

僕は、僕のゴルフのプレー日のプロローグとして舩越さんの記事をブログにアップすることも多かったです。

10日に今年の初ゴルフをします。そのプロローグとしても、そして、舩越園子さんへの感謝のしるしとして、僕がブログにアップした記事の中から印象的な2つの素顔のプロたちをご紹介します。

まず、2015年5月22日のブログから、ニック・プライスのキャディーを長年務めて1997年に白血病でこの世を去ったジェフ・メドレン(米)のことを書いた「心優しき 名キャディー」です。068
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しばらく読んでいくと自然に涙が出て来ました。

サブタイトルは「心優しき 名キャディー」
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春から夏へ移ろうこの時期、必ず思い出される人がいる。前回のこの欄で書いたニック・プライス(ジンバブエ)のキャディーを長年務め、1997年に白血病でこの世を去った、ジェフ・メドレン(米)だ。甲高いキーキー声ゆえ、愛称は「スクイーキー」。93年に渡米した私が現地で初めて一対一でインタビューした相手は、実を言えば選手ではなく、彼だった。

94年全米プロの練習日。つたない英語、必死の形相だった私を哀れに思ってくれたのだろう。メジャー大会の前日だったにもかかわらず、彼は「1時間後に」と言ってくれた。そのころ彼は「メジャー優勝をもたらすキャデー」と呼ばれていた。91年全米プロでプライスが愛妻の初産立ち合いのために急きょ欠場した際、補欠から繰り上がり出場した無名のジョン・デーリーのキャディー役を買って出て、勝利に導いたのがスクイーキーだった。

その翌年、今度はプライスが全米プロでメジャー初優勝、94年全英オープンでも優勝。選手を勝たせる秘訣は「選手の心の火が燃えすぎないよう、消えないよう、中庸に保つこと」と語った彼は、その4日後、プライスを3度目のメジャー優勝に導いた。

表彰式でプライスが祝福の輪に包まれていた時、スクイーキーは輪の外に一人立ち、ひっそりと拍手を送っていた。「おめでとう」「ありがとう」。勝利の陰の立役者と握手を交わしたあの瞬間、私はモノゴトの真正面より側面や裏側を眺めるのが好きになった。

スクイキーが白血病と診断されたのは、それから2年後の96年夏だった。97年マスターズの直前、彼を見舞ったプライスは「思った以上に元気だった」と言った。が、春から夏へ、マスターズから全米オープンへと季節が移ろう5月に様態が悪化。6月に43歳の若さで逝ってしまった。

「スクイーキーと分かち合った勝利と笑顔を僕は永遠に忘れない」とプライスは泣いた。スクイーキーがいなかったら、プライスのメジャー3勝もデーリーの物語も生まれていなかったのかもしれない。スクイーキーがいなかったら、私は今、こうして文字をつづってはいなかっただろう。

彼の命は尽きてしまったけれど、彼の優しさ、彼の魂は今でも中庸の火となって燃え続けている。

季節のはざまのちょうど今ごろになると、私は毎年、そんなことを思う。
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名選手の陰に名キャディーあり。

そして人生は切ないことも、輝くこともいろいろ起こる。

舩越園子さんの人生の1ページに深く刻まれた名キャディー「スクイーキー」とその言葉「選手の心の火が燃えすぎないよう、消えないよう、中庸に保つこと」

モノゴトの真正面より側面を眺めるのが好きになった著者の文章は美しく、切なく、そして輝いて多くのコラムを僕にプレゼントしてくれています。

  モノゴトの 側面眺め 文字綴る 素顔のプロたち 春から夏へ


次は、2014年1月10日のブログからです。
僕が大好きな朝日新聞夕刊のコラム 素顔のプロたち 米国ゴルフツアー 舩越園子著 の2014年最初のコラムが9日の夕刊に載っていました。012


すごく感動的な文章でしたので、みなさんとシェアしたくなりました。

タイトルは、「聖夜に元日に 届いた幸せ」
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「お正月」は新たな年を迎える日本ならではの習わしだ。初日の出、初詣、おせち料理。そうやって迎春の喜びをかみ締め、一年の計を立てて気を引き締める。
だが、米国には日本のような概念はなく、一年の区切りとなるのは、1月1日より、むしろクリスマスだ。米国の子供たちにとってサンタクロースが来てくれるかどうかは、プレゼントをもらえるかどうかのみならず、希望を抱いて新しい年を迎えられるかどうかをも意味することになる。

昨年12月の半ばだったろうか。「アーノルド・パーマーがクリスマスを救う」と題された動画がネットでは配信された。パーマーが自身の名を冠し、サポートを続けているフロリダの小児病院のプロモーションビデオ。何気なく開始ボタンをクリックしたら、そのまま釘づけになった。011


ビデオの冒頭はクリスマスにも病院から自宅へ戻ることのできない重病、難病の子供たち数人が代わる代わる登場。6歳ぐらいの女の子がちょっぴりおませな口調で、しかし寂しそうに、こう言った。「サンタクロースは、たぶんここに来られない。だって・・・・・問題は、この病院に大きな煙突がないってことなのよ」

そこでさっそうと登場するのがパーマーだ。子供たちからの手紙を読んだパーマーは、すぐさまサンタクロースに電話をかけ、「私だ、アーニーだ。キミを待っている子供たちがたくさんいるんだ。必ず、ここにきてくれよ」と頼む。

そして、クリスマスの朝。病室のベッド際にサンタクロースからの贈り物を見つけた子供たちの輝く笑顔。宣伝を兼ねたビデオであることは百も承知だったが、涙があふれた。

私事で恐縮だが、クリスマスの夜、母が急病になり、緊急手術で救われた。
「年越しは病院だね」と2人で苦笑したが、優秀な医師たちと先進医療に感謝した。そして元日の夜、病院食に添えられたおせち料理の小さなパックを見たとき、パーマーのビデオが思い出された。 

病院でもメリークリスマス。病院でも謹賀新年。気分だけ、香りだけだっていい。たとえ一片でも夢や希望を運んであげられれば、本当は苦しくつらい状況下でも一瞬の幸せを味わえる。ゴルフとプロゴルファーが、そんな存在であり続けてくれたら、うれしい。
ゴルフを伝える私自身も、そうできることを目指したい。
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どうでしたか?ちょっとほっとできる文章でしょう。

舩越園子さんのすばらしい感性が出ていますよね。

   パーマーの 心遣いが 伝わりて 僕の心も 幸せになる

プロスポーツの価値は、苦しんでいる人たちにどれだけ夢や希望を与えることが出来るかが大きいですね。

舩越園子さん、17年間お疲れさまでした。そして、4月からの新連載を楽しみにしています。

  独特の視点で描き楽します素顔のプロたち舩越園子

今日は亡妻の68回目の誕生日です。これからお墓参りに行って来ます。ということで、亡妻のお墓の写真でお別れします。DSC06704
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今日の曲は、桑田佳祐 悲しい気持ち



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